金魚詳報誌「金魚伝承」 第十一号 2006年12月30日発行


 

 

生産者紹介 中野養鯉場


小金錦、平成コメット、七夕三色…
新たな体色、 魅力を持つ金魚作出に情熱を注ぐ

中野養鯉場のストック用たたき池。
養殖池は店舗から道を隔てた側にお持ちで、そこで様々な金魚が生産されている

中野重治さん。大和郡山という地に生まれ、
長年、錦鯉と金魚を作り続けてこられた方である

“金欄錦(きんらんにしき)”の呼称を付けられた
紅白モザイク透明鱗を持つ中野さんが改良された金魚

中野さんが「五色」と呼ぶモザイク透明鱗を持った和金型の金魚。
中野さんが作られる和金型の体形の様々な金魚には
中野さんの精神が随所に活かされているのである

錦鯉とを交配して中野さんが作られた小金錦。
金色をした金魚として多くの報道で有名になった金魚である

この迫力、この更紗の和金にも中野さんのセンスと経験が活かされている 美しい長尾型のコメットタイプの金魚

 

 奈良県大和郡山市にあるI中野養鰻場」の中野重治氏(79)が錦鯉と金魚を交配して作り上げた、全身が金色をした金魚が小金錦(こがねにしき)である。自然界でも時折、コイとフナの雑種である“コイフナ”が発見されることはあるが、種間雑種であるため、生殖能力のない個体が普通である。特に、コイとフナの雑種では、オスで生殖能力が失われている場合が多い。
 中野氏は、小学生の素朴な疑問であった「何で金魚というのに、赤い色をしているのか?」という質問に答えを見出そうと「ならば金色の金魚を!」と思い立って、この小金錦作出に着手されたと言われる。その小学生に「おじちゃんが金色をした金魚を作るから待っててな!」と約束されたそうで、その小学生との約束を中野氏は是非とも形にしなければと自らに言い聞かせてやってこられたと言われるのである。
 そこで考えられたのが錦鰻の黄金から金色を金魚に移行する方法で、錦鯉と金魚を人工授精させ、“コイフナ”を作られ、それを育て上げながら、「根気よくやっていけば突然変異のように繁殖能力を持つ理想に近い魚が出てくる」ことを信念に、交配、選別淘汰を繰り返し、着手から14〜15年目にコイのヒゲが欠除した、現在の小金錦の最初の魚が出来たと言われる。錦鯉と金魚の遺伝子が違う部分が、種間雑種の場合、どちらかに偏ってしまう表現になって現れる部分を、バランス良く出現させたものを追究して、ここに至った金魚なのである。信州大学の小野里教授に「絶対に出来ないと思われていたことをやった」と言われたそうで、難関を突破した魚、錦鰹に似た風貌でありながら金魚である魚が、この小金錦なのである。
 2006年時点で、僅かだが三つ尾の小金錦が誕生するまでに至っているのである。
 中野重治氏の金魚の新品種作出は何もこの小金錦だけではない。というよりむしろ小金錦以上によく知られた魚がシルク桜、スケルトン金魚などの呼称が知られる和金型の金魚の改良品種なのである。
 中野氏が作られたモザイク透明鱗を移行させた金魚の中で、代表的なものは、平成大和(へいせいやまと)、シルク桜の呼称で知られる、紅白透明鱗、いわゆる桜体色の和金である。中野氏の手によって2000年に発表されたもので、2001年のフィッシュマガジン誌3月号では同系の全透明鱗性の和金が“スケルトン金魚”としても発表されたのである。
 現在、最もよく知られた平成大和は、紅白透明鱗性(桜体色)の体色をした和金で、中野氏が手掛けられて6年掛かって作られたものである。和金を紅白透明鱗性にしたからといって、価格が跳ね上がるものではないため、利益に結びつかないことから、和金の新色を作出しようという生産者は少ないのであるが、中野氏は「大和郡山の地で、大和郡山を代表する和金で新しいものを!」と思われて、現在でも平成大和を基本に、新たな透明鱗性、色合いの金魚作出に情熱を注いでおられる。「何といっても郡山は和金作りで全国ーなんだから、そこを大事にしていかないと」と中野さん、和金が「大和」と呼ばれることがこの大和郡山の地名に因んだものである意識と地元を想う気持ちがこういった金魚を作らせているのだと感じた。
 交配を始められた雑種一代目に透明鱗性のものは出来るのだが、次の代から表現がばらけるのが普通で、交配を始めて3年目に「これは!」と思う個体が誕生、そして6年目に約8割が親と同じ透明鱗性のものになり、発表されたそうである。
 この平成大和、シルク桜から今でも選別淘汰が続けられており、モザイク透明鱗でも普通鱗が多く色合いとともにモザイク透明鱗の反射が美しいものに“金欄錦(きんらんにしき)” の呼称を付けられ、更に赤、黒、白を様々に混色する和金に“七夕三色”と名付け、そういった和金が今後は金魚掬いなどで使われれば、ただ単に小赤を金魚掬いに用いている現状から、「金魚の面白さをもっと広く知ってもらえる」という中野氏の金魚に対する情熱が生かされたものに作り上げられている。「金魚掬いで持ち帰ってもらえる金魚が成長とともに綺麗になっていけばこんなに楽しいことはないし、金魚をもっと普及させることができるじゃないか!」中野氏はそう力強く言われるのである。そうは言われても、この“七夕三色”は、金魚掬いに使われる金魚のレベルを遥かに超えた観賞価値をそれぞれのタイプは持っているのである。79歳という年齢を感じさせない中野氏は、今後も更なる金魚改良を続けて行かれるのである。

これも金魚と錦鯉の交配によって
得られた魚

美しい平成コメッ卜が群泳している

中野さんが書かれた理想のひとつと
される筒と尾型を持った金魚

小金錦の当歳魚上見

“金欄錦(きんらんにしき)”の呼称を付けられた美しい紅白モザイク
透明鱗をもった金魚
七タ三色と名付けられた普及を願っておられる和金型の金魚