金魚詳報誌「金魚伝承」別冊 「日本金魚大鑑」 2008年8月31日発行


 

奈良県大和郡山市にある『中野養鯉場』で作られる“七夕三色”と名付けられた透明鱗性の多色和金。生後2ヶ月ほどの当歳魚で、既にバラエティに富んだ色合いであることが見てとれる

“平成大和”と名付けられた紅白透明鱗性(桜体色)の和金の中から更に発展し、普通鱗を多く持つ固体。西陣織の金欄に因んで“金欄錦”と呼ばれているタイプである

 

 

透明鱗性の和金


WAKIN with

奈良県大和郡山市にある『中野養鯉場』の中野重治氏が錦鯉と金魚を交配して作り上げた、全身が金色をした金魚である。自然界でも時折、コイとフナの雑種である“コイフナ”が発見されることはあるが、種間雑種であるため、生殖能力のない個体が普通である。特に、コイとフナの雑種では、オスで生殖能力が失われている場合が多い。
 中野氏は、小学生の素朴な疑問であった「何で金魚というのに、赤い色をしているのか?」という質問に答えを見出そうと「ならば金色の金魚を!」と思い立って、この“小金錦”作出に着手されたと言われる。

 そこで考えられたのが錦鯉の黄金をから金色を金魚に移行することで、錦鯉と金魚を人工授精させ、“コイフナ”を作られ、それを育て上げながら、「根気よくやっていけば突然変異のように繁殖能力を持つ理想に近い魚が出てくる」ことを信念に、交配、選別淘汰を繰り返し、着手から14〜15年目にコイのヒゲが欠除した、現在の“小金錦”の最初の魚が出来たと言われる。錦鯉と金魚の遺伝子が違う部分が、種間雑種の場合、どちらかに偏ってしまう表現になって現れる部分を、バランス良く?出現させたものを追究して、ここに至った魚である。信州大学の小野里教授に「絶対に出来ないと思われていたことをやった」と言われたそうで、難関を突破した魚、錦鯉に似た風貌でありながら金魚であるという、この“小金錦”なのである。2006年時点で、僅かだが三つ尾の“小金錦”が誕生するまでに至っている。

赤い色合いが班状に現れた固体。
モザイク透明鱗が作り出す色の変化は楽しみが多い

平成大和と名付けられた紅白透明鱗性(桜体色)の和金。オリジナルは大和郡山の中野養鯉場で作られたものである

この個体も平成大和。普通鱗性に見えるが、大部分が普通鱗で、部分的に透明鱗を持っている

“五色”と呼ばれるモザイク透明鱗性のフナ尾和金。新しい魅力を感じさせるタイプだ

モザイク透明鱗性が作り出す反射が魅力のひとつだ

 

『中野養鯉場』の中野重治氏が錦鯉と金魚を交配して作り上げた、全身が金色をした金魚。
「金魚」という呼称を再現しようとした純粋だが、途方に暮れる作業を必要とした魚だ

 

“小金錦”


KOGANE-NISHIKI

 奈良県大和郡山市にある『中野養鰻場』の中野重治氏が作る和金にモザイク透明鱗を移行させた魚である。代表的なものは、“平成大和(へいせいやまと)”、“シルク桜”の呼称で知られる、紅白透明鱗、いわゆる桜体色の和金で、中野氏の手によって2000年に発表されたものである。2001年のフィッシュマガジン誌3月号では同系の全透明鱗性の和金が“スケルトン金魚”も発表された。
 現在、最もよく知られた“平成大和”は紅白透明鱗性(桜体色)の体色をした和金で、中野氏が手掛けられて6年掛かって作られたものである。和金を紅白透明鱗性にしたからといって、価格が跳ね上がるものではないため、利益に結びつかないことから、和金の新色を作出しようという生産者は少ないのであるが、中野氏は「大和郡山の地で、大和郡山を代表する和金で新しいものを!」と思われて、現在でも“平成大和”を基本に、新たな透明鱗性、色合いの金魚作出に情熱を注いでおられる。
 交配を始められた雑種一代目に透明鱗性のものは出来るのだが、次の代から表現がぱらけるのが普通で、交配を始めて3年目に「これは!」と思う個体が誕生、そして6年目に約8割が親と同じ透明鱗性のものになり、発表されたそうである。

 この平成大和"、“シルク桜”から選別淘汰が続けられており、モザイク透明鱗でも普通鱗が多く色合いとともにモザイク透明鱗の反射が美しいものに“金欄錦(きんらんにしき)”の呼称を付けられ、更に赤、黒、白を様々に混色する和金に“七夕三色”と名付け、そういった和金が今後は金魚掬いなどで使われれば、ただ単に小赤を金魚掬いに用いている現状から、「金魚の面白さをもっと広く知ってもらえる」という中野氏の金魚、に対する情熱が生かされたものに作り上げられている。最も、金魚掬いに使われる金魚のレベルを遥かに超えた観賞価値をそれぞれのタイプは持っているのである。

2006年生まれの当歳魚

二歳魚。顔つき、プロポーションはまだ錦鯉を思わせるところがあるが、
金色の体色は完成している